探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-ふ-


フィルポッツ,イーデン(Eden_Phillpotts)

1862年(文久2)、インドのマウント・アブー生まれ。イギリスで活躍した田園小説の大家。ダートムアを舞台にした小説が多い。ほかに中世に材をとった歴史小説もある。娘も作家のメリー・アデレイド・フィルポッツ。
アガサ・クリスティは母とともにカイロに避寒で訪れた際にはじめて長編小説「砂漠の雪」を書き、トーケイで隣人だったフイルポッツに指導を受けた。
1888年(明21)、探偵小説「My Adventure in the Flying Scotsman:A Romance of London and North-Western Railway Shares」を発表。
1910年(明43)に怪奇短編集「不吉な数」を発表。
1921年(大10)に「灰色の部屋」を発表。
1922年(大11)に発表された「赤毛のレドメイン家」はロマンチシズム探偵小説の最高峰として、江戸川乱歩は黄金時代のベスト1に挙げたが、現在の欧米では酷評されている。
ハリントン・ヘキスト名義で、1924年(大13)には「誰が駒鳥を殺したか」を刊行。
1925年(大14)に「闇からの声」を発表。
1935年(昭10)、「赤毛のレドメイン家」を井上良夫が「赤毛のレドメイン一家」として邦訳。
1936年(昭11)、「赤毛のレドメイン家」を江戸川乱歩が「緑衣の鬼」として「講談倶楽部」に翻案。
1960年(昭35)、死去。


福田洋(ふくだ・よう)

1929年(昭4)、大分県別府市生まれ。
1971年(昭46)、「空白のダイヤ」を発表。
1974年(昭49)、桜田忍名義の「艶やかな死神」で第13回オール讀物推理小説新人賞を受賞。
1978年(昭53)、「狙撃」で第24回江戸川乱歩賞最終候補となり、1979年(昭54)に「凶弾」として刊行。

幻影城掲載誌:22/


不在クラブ(ふざいくらぶ)

1961年(昭36)、東都書房に在籍し、東都ミステリーや現代推理小説体系を発行した原田裕の肝いりにより、東都ミステリー・シリーズ出身の新鋭作家を中心として結成した探偵作家親睦団体。小島直記が会長となり、海渡英祐飛鳥高久能啓二南部樹未子藤木靖子左右田謙に加えて、のちに斎藤栄陳舜臣も加入した。第一回会合は新宿の中村屋で開催。しばしば霧の会と合同で会合をもっていた。


藤木靖子(ふじき・やすこ)

本名石垣靖子。1933年(昭8)、高松生まれ。霧の会会員。不在クラブ会員。
1960年(昭35)、「女と子供」が第一回宝石賞で一席入選し、「宝石増刊」に掲載。
1990年(平2)、死去。

幻影城掲載誌:6/7/10/17/21/別冊幻影城掲載誌:6/


藤田操(ふじた・みさお)

1922年(大11)、「新青年」第十二回募集に「佛蘭西製の鏡」が一等入選。

幻影城掲載誌:20/


藤村正太(ふじむら・しょうた)

1924年(大13)、京城生まれ。東京大学法学部卒。一高在学中の一級上には江戸川乱歩の息子である平井隆太郎がいた。麻雀が強いことでも知られる。
1949年(昭24)、川島郁夫名義で、「接吻物語」と「黄色の輪」が「宝石」の百万円コンクールで候補となり、「黄色の輪」が二等入選。
1957年(昭32)、NHKのテレビ番組「私だけが知っている」の脚本を山村正夫鮎川哲也笹沢左保土屋隆夫夏樹静子とともに執筆。
1961年(昭36)、「孤独なアスファルト」が第9回江戸川乱歩賞を受賞。
1971年(昭46)に刊行された「コンピューター殺人事件」が、1972年(昭47)に第25回日本推理作家協会賞の候補となる。
1977年(昭52)、肺結核の再発による肺性心により死去。

幻影城掲載誌:10/24/31/別冊幻影城掲載誌:2/7/9/日本長編推理小説ベスト99/


藤本泉(ふじもと・せん)

1923年(大12)、東京生まれ。日本大学国文科卒。「文芸首都」「現象」同人。
1966年(昭41)、「媼繁盛記」で第6回小説現代新人賞受賞。
1971年(昭46)、「藤太夫谷の毒」が第17回江戸川乱歩賞候補となり、「地図にない谷」として刊行。
1976年(昭51)に刊行した「呪いの聖域」が、1976年(昭51)に第75回直木賞候補となる。
1976年(昭51)に刊行した「ガラスの迷路」が、1977年(昭52)に第30回日本推理作家協会賞長編賞の候補となる。
1977年(昭52)、「時をきざむ潮」で第23回江戸川乱歩賞受賞。
1989年(平)、フランスにて消息不明。

日本長編推理小説ベスト99/


藤桂子(ふじ・けいこ)

本名森川桂子。1943年(昭18)、神奈川県生まれ。上智大学文学部卒。藤雪夫は父。 1984年(昭59)、藤雪夫との合作で「獅子座」刊行。この作品は「週刊文春」の84年「傑作ミステリーベスト10」の5位に選ばれる。
1950年(昭25)に「宝石」発刊三周年記念の百万円コンクールA級(長編)に一等入選した藤雪夫の「渦潮」を改稿して、1985年(昭60)に「黒水仙」として発表。
1993年(平5)、「二重螺旋の惨劇」を発表。


藤雪夫(ふじ・ゆきお)

本名遠藤恒彦。1913年(大2)、生まれ。
1950年(昭25)、「宝石」発刊三周年記念に百万円コンクールとして長中短編が募集され、遠藤桂子名義の「渦潮」がA級(長編)に一等入選、「別冊宝石」に掲載された。ちなみに二等が中川透(鮎川哲也)の「ペトロフ事件」、三等が島久平の「硝子の家」だった。「渦潮」は1985年(昭60)に娘の藤桂子により「黒水仙」として発表される。
1956年(昭31)、「書下ろし長編探偵小説全集」で新作を公募した際に、「獅子座」で候補作になるが、鮎川哲也の「黒いトランク」に破れる。もともと「獅子座」は鮎川哲也との合作小説として企画された。
1984年(昭59)、藤桂子との合作で「獅子座」刊行。この作品は「週刊文春」の84年「傑作ミステリーベスト10」の5位に選ばれる。
1984年(昭59)、死去。


二上洋一(ふたがみ・ひろかず)

本名倉持功。1937年(昭12)、茨城生まれ。早稲田大学卒。ワセダ・ミステリ・クラブ出身。別名千葉健児、金田一郎、根岸洋。
1961年(昭36)、「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の短編コンテストに「古事記殺人事件」が最終選考に残る。
1962年(昭37)、権田萬治島崎博らと「みすてりい」創刊。
1978年(昭53)、「少年小説の系譜」で日本児童文学学会奨励賞を受賞。
少年小説の研究のかたわら、探偵小説の評論を執筆。

幻影城掲載誌:1/2/3/4/5/6/7/8/9/10/11/12/13/14/15/16/17/18/19/20/21/22/
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44/46/47/48/49/50/51/52/53/別冊幻影城掲載誌:1/3/5/6/7/8/9/幻影城ノベルス/幻影城評論研究叢書/


ブッシュ,クリストファー(Christopher_Bush)

本名チャーリー・クリスマス・ブッシュ。1885年(明18)、イギリスのイーストアングリア生まれ。ロンドン大学キングズ・カレッジ卒。別名マイクル・ホーム。
1926年(大15)、「ブラムリーの遺産」を刊行。
1929年(昭4)、「完全殺人事件」を刊行。
1938年(昭13)、「チューダー女王の事件」を刊行。
アリバイ崩しを得意とする。
1973年(昭48)、死去。


ブラックマスク(Black_Mask)

1920年(大9)4月創刊のアメリカの探偵小説誌。「ディクティブ・ストーリー・マガジン」のライバル誌として創刊され、パルプマガジンの代表となる。ハメットがハードボイルドを生み出す舞台となった。1951年(昭26)7月廃刊。1953年(昭28)には誌名を「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」に譲渡した。


フリーマン,オースチン(Richard_Austin_Freeman)

1862年(文久2)、イギリスのロンドン生まれ。ミドルセックス病院付属医科大学卒。
1898年(明25)に刊行したアフリカの黄金海岸に植民地付医師補として赴任したときの紀行書「アシャンチおよびジャマンの紀行と生活」が処女作。
1902年(明35)、J・J・ピットアケンと共同で、クリフォード・アフダウン名義で、「怪盗ロムニイ・ブリングルの冒険」を刊行。これは「キャッセルズ・マガジン」に連載したものだった。
1905年(明38) 、冒険小説「The Golden Pool」を発表。
1907年(明40) 、「赤い拇指紋」を刊行。
1908年(明41)、「ビアスンズ・マガジン」に科学者探偵ソーンダイク博士ものの短編を連載し、ホームズの好敵手となった。
1909年(明42)、短編集「ソーンダイク博士の事件簿」を発表。
1909年(明42)、「青いスパンコール」が少年ものとして「科学的探偵奇談」の題で、三津木春影の訳で紹介される。従来は「奇絶怪絶飛来の短剣」の題で訳した「アルミニュームの短剣」がはじめての紹介だと考えられていたが誤りで、同訳も初めは「骸骨画と殺人犯」の題だった。1911年(明44)には「呉田博士」の題名で一冊にまとめられる。
1912年(明45)、初の倒叙探偵小説「歌う白骨」を発表。
1920年(大9)、「新青年」創刊号に「オリシスの眼」(1911年(明44))が保篠龍緒によって「白骨の謎」の題で訳される。なお、「オリシスの眼」を発掘し、訳させたのは長谷川天渓
1926年(大15)、「ダープレイの秘密」を発表。
科学的な作風で、現代的探偵の先駆け。
1943年(昭18)、死去。

幻影城掲載誌:22/


ぷろふいる

ぷろふいる創刊号表紙 1933年(昭8)5月創刊。京都のぷろふいる社発行。経営者は京都の老舗呉服商の若主人、熊谷晃一。氏は京都の老舗百貨店、藤井大丸の分家の長男でもある。
はじめは西田政治山本禾太郎山下利三郎など、東京の「新青年」に対抗すべく、京阪神在住作家の同人誌的性格が強かったが、1933年(昭8)に経営者熊谷晃一の親戚であり、東京在住の堀場慶三郎が東京支局を開設し、東京の作家たちも執筆をするようになり、しだいに全国に展開する。当時は「新青年」が探偵小説に力を入れていなかったこともあり、部数を伸ばしたが、ついに営業雑誌まで成長することはなかった。
創作や評論に力を入れ、特に海外作品を論じた井上良夫の評論「英米探偵小説のプロフィル」など見るべきものが多い。また、「シュピオ」とともに、探偵小説と芸術を巡る甲賀三郎木々高太郎の論争の舞台のひとつになった。本誌によって登場した作家には、蒼井雄西尾正がいる。翻訳も長編を掲載するなど、力を入れていた。しかし、クイーンの「フランス白粉の謎」を「飾窓の秘密」の題で、馬場重次の訳により掲載したが、五分の一に満たない抄訳で、しかも犯人が違っているという事件を起こした。
戦前の雑誌のなかでは「新青年」を除いては、最も寿命が長い。
1937年(昭12)4月に休刊し、「探偵倶楽部」と改題するはずだったが、経営者の熊谷晃一の株売買が失敗し、休刊した。全48冊発行。

第二次ぷろふいる創刊号表紙 その後、1946年(昭21)7月から季刊雑誌として復活。創作は再録と編集者である九鬼澹の新作ぐらいで、随筆欄が豊富だったが、戦後の出版界の動乱期に関西の小冊子では太刀打ちできず、長続きしなかった。第二次「ぷろふいる」は1947年(昭22)12月まで続き、1948年(昭23)から「仮面」と改題し、また、別会社から「小説」を発刊した。

幻影城掲載誌:5/



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